「彼らはわが言葉を求めず、エジプトへ下って行って、パロの保護にたより、エジプトの陰に隠れようとする」(イザ30:2)。パロの陰に隠れ、その力に頼ろうとする神の民の姿は現代の教会と似ています。それはまさに、何を悔い改めなければならないのかを知らない、そして救われた確信もない神学者や牧師の口先に頼ろうとする教会です。そういう教会は「下っていく」教会です。原語からすると「下っていく」(ヤラド)とは落ちる、太陽が沈む、衣を脱ぐなどの意味を持つ言葉です。結局、脱がされる恥辱を受ける教会はこの世の上手くことのできる処世術のうまい教会です。