たちに、って大胆にみ言葉らせてください」(使徒4:29)。「(δολος奴隷)とは自己価値のない、買い取られる存在、主人に何も言えないただ従うばかりの存在であると言われます。しかし聖書がいう僕(奴隷)とは「大胆に」(παρρησία) ができる存在です。この大胆のギリシャ語パッレシアは完全な信頼と確信を意味します。なので、聖書の僕は主人との人格的な交わりにより、確かな信頼を持って主人の言葉を語ることのできる存在であります。ただ服従する受動的な存在ではなく、大胆に生きる主の僕になることを祈り求めます。