「神のみでも、兄弟、また姉妹、またなのである」(マルコ3:35)のみとは一体誰のことでしょうか。「御心」とされるテレマの動詞テローが13で「が『これとう』人々を呼び寄せ、お立てになったとして使われています。つまり、イエスがご自身お望みになり、呼ばれ、立てられた(ポイエオー、造る)、つまり新しく造られた者こそ「神の御心を行う者」ではないでしょうか。主の御心にかない呼ばれているにも拘らず応じない者は「聖霊を冒涜する者」(29)ではないでしょうか。あなたは「永遠に赦されない」(29)者ではなく、主の家族として呼び寄せられた主のテレーマそのものです。主の御心を行うく四旬節となりますように祈ります。