悪人のようにられる」(サムエル下23:6)。「刈り取られる」(ナーダット)とは「投げ捨てられる」(新改)、「捨てられる」(口語)とも訳されます。この言葉から「ノド(さすらい)」が派生されました(創世記4:12)。だから別のところではさすらう者となると訳されます。ナーダットになるとは神のめぐみを拒むことによって自己流に生きることを意味します。今の私たちの教会はどうでしょうか。神の警告に耳を傾かず、大丈夫大丈夫と言って自己流になってしまっているのではないでしょうか。