「あなたはであって、ってみをれさせ、いをってまれる」(詩篇32:7)。ここの「私」とは「自分の罪を主に知らせ、不義を隠さなかった、それでとがが赦され、不義を負わされない」(1-6)人のことです。日本の教会の弱化は深刻です。異口同音で危機を憂い叫んでいますが、罪の告白と主の赦しによる「囲まれる」恵みをいう人がいないのではないでしょうか。囲まれるとは抱きしめるとも訳せます。主に抱きしめられる恵みを求めましょう。