「主られる」とは、自分生活自分りか否もしくは自分の然りと否かを十分享受しうるとっている足元土台られることである(バルト)。言い換えるなら、「私は常に主をほめまつる」(34:1)。これが生きる時も死ぬ時も私の唯一の慰めだからである。私の人生の「常」とは主との交わりに在する。