こうろう」(マルコ)と、イエス様は言われます。「渡る」のギリシャ語ディエルコマイは何かを通り抜ける、通過するという意味の言葉で、もう一度「らくだが針の穴を通る」(10:25)というところで現れます。まさに、らくだが決して通り抜けることのできない針の穴のようなところを「渡ろう」とイエス様は言われるのであります。実は、この言葉の文法的な形からいえば、これは単純な命令を現すのではなく、「私と一緒なら可能である。だから渡ろう」というようなニュアンスの言葉です。主と共に人生の道程に出かけましょう。主とご一緒なら渡れないことは何一つありません。